夏のコンペ終わりました
当教室のホームページへご訪問いただく検索キーワードの中で、
7月末から急増した言葉があります
「コンクールの弊害」
ドキッとしますよね。
ピティナの予選が終わりを迎える頃、急激にこのキーワードが増えるのです。
きっと受けた皆さん、色々思うところがおありになるのでしょう。
私は毎年少しずつコンペへの考え方、スタンスを書いているので、
何かが検索にヒットしたのかもしれません。
当教室も恒例のピティナコンペ、それから今年からコンペ課題曲で
力だめしをしてみたい生徒さん達が「課題曲チャレンジ」に挑戦しました。
もちろん全員、いろんなスタンスからの挑戦です。
「今年は予選通過して本選で賞をゲットしたい」
「コンペって一度どんなものか経験してみたい」
「今年は下の学年になるから、練習のつもり」
「まったり練習していてもダラっと過ごしてしまいそう」
など、色々。
出場を決める時、目標をきちんと話し合うようにしています。
それから「結果」だけを追いもとめない事。
これについては過去にも書いていますが、以前ある先生からお聞きした言葉
「コンペって結局は金賞以外、みんなどこかでくやしい思いをするんですから」
が的を得ていると思うのです。
結果を追いもとめすぎて目標がすりかわり、
いつしか息も継げなくなるような生活になり、
ピアノすら嫌いになってしまう。
これが「コンクールの弊害」と検索したくなる理由なのでしょうか。
話は変わりますが、今年オリンピックでたびたび聞かれたのが、
激闘を終えた選手たちが、インタビューで口にする
「楽しかった!」という言葉。
たとえ負けたとしても…です。
もちろん、ここ(オリンピックの舞台)に来るまで
「楽しかった」だけで来られるはずはありません。
苦しんだことも、投げ出したいと思ったことも
山ほどあるはずで…
「きれいごと」だけでない時間を過ごし、
その努力の過程を、心から楽しめた人が口にする
「楽しかった」はとても心を打ちます。
コンペを受けるとなれば、いつもより深く深〜く練習する事になりますし、
時間もかかります。
もちろん難しいことは、出来るだけ楽しいエキスをちりばめながら
生徒さんたちにはお伝えしていくよう心がけています。
(笑いのエキスもちりばめながら…ね)
でもうわべだけの「楽しい」は、
あまり栄養にはならないかも知れません。
そこをきちんと言葉にして伝えることも大切なのかなぁと、
過去にも苦い経験をした私は思います。
「清濁併せ呑む」覚悟も必要だよ、と。
そしてその時の生徒さんや精神状態や環境をよく観察しながら、
注意深く、そしてすこーしずつ引っぱる。
…でないと糸はかんたんに切れてしまいますから。
それから初回でたくさんを求めないこと。
これも参加される保護者の方にお伝えしていることです。
だってきっと「言われたこと完ぺきに弾きなさい」なんて
きっと小学生時代の私が言われたら、ひっくり返っちゃいます。
参加してみて、本人の気持ちがどう変化したか?
そこからが意味のあるものになると思います。
今年、コンペから帰りみちの生徒さんたちの報告に、
「あ〜、楽しかった!」
「くやしい! 次ぜったいゲットする」
の言葉が聞かれました。
みんな色んなドラマがあって。
とても健全にコンペに参加できたことに
私も安心しています。